死ぬときは、感謝の心だけをもって、人生を終えたい。

自分の記憶に、正面から向き合ったことはあるか?
たとえば自分の死を誰かに告げられて、まもなく記憶が消されることを告げられたとしたら。そして、生前に親しかった人々に、自分の声が届くかどうか、すでに分からないとしたら。
せめて彼らが近くにいて、自分の声が聞こえていることを祈りながら、私は空に向かって、どんな記憶を叫ぶだろうか。
自分が忘れても、この世界が覚えておいてほしい記憶は、何だろうか。
できることなら、この世界に覚えておいてもらいたい記憶は、きちんと紙にして現世に遺しておいて、空には悠々と、感謝の気持ちを表す言葉を浮かべたい。

「この世界へ。
この人生をくれて、ありがとうございました。
これまで与えてくださった、すばらしい一瞬一瞬に感謝しながら、もうそれはそれとして、これから起こることに、無心で向き合いたいと思います。」

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百年前の写真、男性は工場の中に立っている。

動きやすそうな服を着て、右手に持っている道具を使うわけでもなく、作業が進行している様子を、ぽけっとした表情で見ている。

百年前にも、世界はあったんだと、嬉しくなった。

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「多くの人が、長い人生のなかで、辛いことや悲しいことに触れていく中で、たまには俺みたいに、人生のいちばん楽しくて幸せな部分しか知らずに散っていく奴がいてもいいと思うんだ。」

そう言って、あなたは散っていった。

彼自身の意思で、散っていった。

(いっときの悲しみは仕方ないと思う。それでも、このあたりが俺にとって、一番おさまりのいいところなんだ。わがままで申し訳ない。

このさき、みんなにどんな苦労が待っているかは分からない。でも、少なくとも俺のいた時代は、いつだって、最高にいい時代だった。俺はそうやって、みんなが「あの頃は良かったよな」って振り返るところに、いつもニコニコして立っている、標識みたいな存在になりたいんだ。)

彼自身で見つけた、彼の居場所。

それもひとつの 幸せの形だろうか。