木を見て森を見ず、という諺について
「木を見て森を見ず」という諺がある。
時々森を見て、状況を客観的・俯瞰的に把握することは大切だ。
もしこれを怠れば、成功していると妄信したまま失敗するおそれが高い。
自分ではまっすぐ歩いているつもりでも、上空を飛ぶヘリコプターからその歩みをみると少しずつ右に曲がっており、気付いたときには大きい円を描いて、もとの場所に戻っているということがある。
他方で「森ばかりを見て木を見ず」というのも良くない。
まっすぐ歩くという行為にしても、それは右足左足と1歩1歩をまっすぐ踏みしめることから成っている。ヘリコプターからの視点では、次の足のつま先を地面のどの位置に置くかという微妙な調節はできない。実際に歩みを進めるときは、全体の進み方はひとまず脇に置いて1歩1歩に集中することが、どうしても必要になってくる。
全体を俯瞰するばかりでひとつのことに集中できないでいると、何も達成できない。
普段は木を見て集中し、定期的に森を見て状況を確認するというのが正解だ。
仕事の時間と休憩の時間の関係というのは、
仕事=木を見ること、休憩=森を見ること、と整理することができるのかもしれない。
休憩は、何もまともに見ない時間ではなく、森を見る時間なのかもしれない。
何もまともに見ない時間というのは、死んでいるのと同じで、かえって仕事の足を引っ張る。
今の状況を客観的・俯瞰的に観察して、次の仕事に活かすというのが、あるべき休憩の姿なのかもしれない。